コロナ陽性で出産した話~救急搬送からの帝王切開~

まだまだいつ収束するのかわからないコロナ。マスク生活にもすーっかり慣れて、外出する際にはないと不安なくらい。

そんなコロナ禍で、わたしは2人目を妊娠しました。

上の子が一歳になったときから不妊治療をしていて、もう高齢出産と言われる年齢でしたので、コロナだからと治療をお休みすることはしませんでした。

そして、感染者数が過去最高となった令和4年の2月にコロナ陽性で出産を迎えることになりました。

人一倍感染しないようにしていたつもりでしたが、出産のタイミングでコロナに罹ってしまいました。

その記録を残しておこうと思います。

スポンサーリンク

コロナ陽性での出産記録 PCR検査と破水

わたしは学生の頃から定期的に、頭痛がひどく熱がある日が来るのですが、臨月に入ってすぐのころ、またその頭痛と熱がやってきました。

夕方から辛く熱は39度まで出ましたが、でもたいていは次の日には落ち着くので、またかーと思っていました。

そして、やはり翌日には熱は下がっていたのですが、鼻水が出ていて、妊婦で、更にコロナが流行っていることもあり念のため病院に連絡を入れてみると、PCR検査をしましょうということになりました。

診察の落ち着くお昼ごろの時間を指定され、着いたら車から電話を入れてそのまま待機するように言われました。(私は運転できないので,上の子を連れて夫に運転してもらいました)

しばらくすると、車に完全防具した看護師さんがやってきて、唾液をとるようにと容器を渡されました。

そして取れたらまた連絡して、受け取りに来てもらいます。

それで検査は終了。結果は2、3日後に電話で連絡すると言われました。

鼻水だけで普通に元気だったので、まぁ大丈夫でしょーと思っていました。

でも、翌日には上の子が発熱。わたしと同じく39度まで上がりました。

ですが、PCR検査をした家族は,結果が出るまで自宅待機と言われたので検査には行きませんでした。

そしてその翌日の夜、なんだか破水してるんだかしてないんだかわからないような感覚で、でも尿漏れかなぁとも思い、様子見。

次の朝に、まだ何か出ている感覚があったので念のため病院に連絡しました。

PCR検査を受けていること、鼻水だけで熱はないことを話し、またお昼ごろに病院へ。

徒歩15分の距離に病院があるのですが、まぁ破水じゃないでしょー、と思っていたので、入院セットも何も持たずに歩いて病院へ行きました💦

熱は下がったものの、上の子を連れて外出するのはなんとなく避けたかったのもあり。

病院に着くと隔離部屋のようなところに案内され、この時点ではPCR検査の結果がまだ出ていなかったため,抗原検査をしました。

鼻に突っ込むやつで、すんごい痛かったです。

そして15分ほどして、なんだかドアの外が慌ただしいなぁと思ったら、防護服を着た看護師さんが来て扇風機を置いて行ったりして、抗原検査陽性でした、とのこと。

診察室に入るわけにはいかないので、隔離部屋で破水の検査をしました。

そして破水も陽性

そのまま帝王切開が決まり、救急車でコロナ妊婦を受け入れてくれる病院へ搬送されることとなりました。

コロナ陽性での出産記録 救急搬送からの帝王切開

晴れて濃厚接触者となった夫は、病院に荷物を届けることもできません。

上の子とも、なんの話もしないまま、離れ離れになることになりました。

病院を選ぶことも,出産の方法を選ぶことも,選択肢すら与えられず決定事項として告げられ,夫にもすぐに連絡をしました。

救急車の中では、マスクの上から酸素マスクをはめ、さらに全身にビニールシートを被せられました。ビニールハウスみたいな感じのやつです。

もう、病院に着くまでめちゃ泣きました。

不安よりもごめんねの方が強かったです。お腹の子に対しても,上の子に対しても。

そして病院に到着。

専用の入口、専用のエレベーター、人払いもされていて、通る道に他の人が来ないように何人ものスタッフさんが立っていました。

そして、ビニールシートで囲まれた病室へ。病室というよりは、どこかのスペースをコロナ妊婦用に変えた場所のようでした。

ビニールシートで囲まれたベットが2台あって、その間にパーテーションがあるような感じ。

人の通りがない端っこのスペースでしたし、隣のベッドには誰もいなかったので、ほぼ個室状態でした。

破水していることもあり、NSTをつけて、エコーも見て、1時間後には帝王切開です、と言われました。

帝王切開の説明を夫にスピーカーで電話しながら聞きました。

PCR検査の結果はまだ出ていなかったのですが、もう一度検査をしました。

前の手術が長引いてるとのことで、帝王切開は4時間遅れで夜になりました。

もちろん手術室にスマホや何かを持ち込むことは出来ず、産声を録音したり手形足形をとりたいっていう願いは叶いませんでした。

下半身だけの麻酔だったのですが、麻酔を打つ時の姿勢がつらくて、鼻水は出ているし,またマスクをしていて息苦しい上に動いてはならず、むり‥苦しすぎる…早く終わって…と思いました。

仰向けに戻っても,息のしづらさはしばらくありました。

手術自体はすぐに終わり、感覚はあるのに痛くないって変な感じでした。

赤ちゃんの泣き声は聞こえるのに、見ることはできず、「聞こえましたか?元気に泣いてますよ!」ってお兄さんが嬉しそうに言ってくれたのがすごく記憶に残っています。

コロナ陽性での出産記録 産まれた赤ちゃんの行方

赤ちゃんは帝王切開後そのまま運ばれて、PCR検査を受けて、2日後にもう一度PCR検査をしてどちらも陰性であれば出産予定だった病院に移送されることが決まっていました。

わたしは,赤ちゃんを一目見ることも叶いませんでした。

それがとても悲しくて,でも赤ちゃんが無事にコロナ陰性だということがわかってホッとしました。

出産予定だった病院の看護師さんが迎えに来てくれて,生後2日でタクシーで病院間を移動。

このまま1週間も赤ちゃんの様子がわからないのは耐えられない…!と,入院先の病院に電話して,赤ちゃんの写真を撮ってもらえないかということをお願いしました。

受付の方はあいまいな返事でしたが,そのあと看護師長さんから連絡があり,LINEにて赤ちゃんの写真を送ってもらえることになりました。

赤ちゃんが移送される日,迎えに来た看護師長さんがテレビ電話で赤ちゃんを見せてくれて本当にうれしかったです。思い出しても泣きそう。

病院によっては,会えなくてもテレビ電話をつないでくれたり写真を撮ってくれたりビニール越しに合えたりするところもあるのでしょうが,わたしの出産した病院,また出産予定だった病院からはそういった配慮の提案はありませんでした。

ですので,思い切ってお願いして本当によかったです。

我が子に会えたのは生後8日目のことでした。

赤ちゃんだけ先に退院する場合もあるのでしょうが,家族が濃厚接触者だからか,特に相談することもなく,私の退院まで預かってくれていることになっていました。

コロナ陽性での出産記録 入院中のこととか

入院に必要なものを何も持たずに来てしまいましたが,必要なものは病院でレンタルすることができました。同居する家族はみな濃厚接触者になりますので,荷物を届けてもらうことはできませんでした。

充電器とメガネ(視力0.1ないので)は常にカバンの中に入れていたのでよかったです。

帝王切開の翌日から歩く練習が始まりました。痛み止めは飲んでいましたが,それはそれは痛かったです。

飲み物やマスクなども購入する必要があるのですが,コロナ病棟から出ることができないため,看護師さんに頼んで買ってきてもらう方法をとっていました。

帝王切開後,わたしはそのまま産科のコロナ病室へ戻り、4日ほど入院して、産科のコロナ病室から今度は内科のコロナ患者病棟へ移送されました。

隣には、臨月でコロナに罹った妊婦さんが入院してきていて、さらにまた別の妊婦さんが来るらしく、4日経過している私が出て行く必要があったみたいです。

ですが、コロナ患者病棟が、ズラーっと並んだビニールで囲まれたベットが並んでいる様を想像していた私は、産科を離れる不安と、と相まって不安でめちゃ泣きました。

でも実際は個室で、ビニールにも囲まれていませんでした。病棟全部がコロナ患者用のようでした。

トイレの時以外、廊下に出ることはありませんでしたが、高齢の方が多かったようで、いろいろと、私にはストレスが多かったです。

それからまたトイレとシャワー付きの個室に移動して、一歩も廊下に出ない日々を過ごしました。

ちょうどオリンピック開催中でしたのでひたすら見てました。

コロナの症状といえば、入院した際の鼻水くらいで、熱もなければ咳も出ませんでした。

でも、念のためとったレントゲンで、ほんの小さな影が見つかったみたいで、レムデシビルという点滴をすることになりました。

5日間続けないといけないらしく、もともとの退院予定日の朝まで点滴をしました。

退院の前夜、鼻の通りが悪くなり少し息がしづらいな、という感じに。入院してからもそういう症状はなかったので不安になりました。が、酸素飽和度は正常。ナースコールを押すことはしませんでした。が、このまま寝て朝目覚めなかったらどうしようと思い全然眠れませんでした。

このまま我が子に会えないまま死ぬのは嫌だって心から思いました。

そして点滴後にレントゲンをとって問題がなかったため、無事に退院することができました。

コロナの症状が出てから10日間は入院をしなければならない,ということだったので,

金曜の夜に熱→土曜昼PCR検査→日曜昼破水確認→日曜夜帝王切開→翌週月曜退院

でした。

退院したとしてもしばらくはPCR検査で陽性が出ることがあるとのことで,退院する際にもう一度PCR検査をすることはなかったです。なので,陰性証明などももらえません。

スポンサーリンク

コロナ陽性での出産記録 かかった費用

コロナ陽性になって帝王切開,かかった費用はこちら。

出産予定だった病院
 *破水から抗原検査,救急搬送までの私の費用 17,000円(子どもの退院の際に併せて請求されました) 
 *入院した子どもの費用(6日分) 5万ほど(預り金5万から少しはみ出すくらい)

帝王切開した病院
 子どもor夫の保険証がなかったため,18万ほど請求されましたが,手続きをして後日13万ほど返金されました。

出産した病院でもすぐに書類を書いて直接支払制度を利用していたのですが,『42万のうち17万使用したので未請求分の支払いします振込先を教えてください』というかんじのお手紙が3か月後くらいに届きました。

なので,破水して検査,救急搬送,からの帝王切開,入院含め,30万円くらい。

緊急帝王切開で,保険も適用になったため3割負担で済み,出産一時金の42万内におさまった形です。

コロナ陽性での出産記録 PCR検査陽性と抗原検査陽性

コロナ陽性での出産記録,と書いていますが,実はPCR検査は陰性でした。

帝王切開が決まった時点では,PCR検査の結果は出ておらず,抗原検査の陽性を受けて帝王切開が決まりました。

PCR検査が陰性だったため,保健所からの連絡一切きていませんし,家族のPCR検査も行っていません。

抗原検査が陽性だっただけで,本当はコロナではなかったのではないかと,普通に出産できたんじゃないかと,悶々とする時間もありました。PCR検査の結果が早く来ていたら,と。

が,看護師さんに聞いても,抗原検査で陽性の場合はコロナ陽性です,との答えが返ってきました。

コロナ陽性での出産記録 さいごに

いま,コロナ陽性での出産記録を振り返ってみて思うことは,無事に退院できて2人の子どもと一緒に過ごす日々は幸せだな,ということです。

私が退院するまで子どもを預かってくれていた病院には感謝しかありません。

写真を撮ることもできない私に代わって、毎日写真を送ってくれました。

でも、わずかしかない新生児の一週間を一緒に過ごせなかったことは心から悔しく思います。

移送されるまでの2日間の写真は一枚もありません。遠目から見ることも叶いませんでした。

そして,いきなり1週間も離れ離れになってしまった上の子にも寂しい思いをさせてしまいました。

上の子は幼稚園に通っているのですが,他の学年でコロナが出たこともあり2週間ほど幼稚園を休ませていました。なので,上の子がどこかからもらってきたことは考えにくく,わたしも最低限の買い物や上の子と近くの公園に行く以外の外出はしておりませんでした。

夫はリモートで行うのが難しい仕事で,通常通り電車で通勤しておりました。そして,仕事終わりに飲みに行くこともたびたびありました。これは何度言ってもやめてくれませんでした。

「俺は大丈夫」と思っている人でした。妊婦と小さい子を持つ親としてどうかと思いますよねホント。

そして,わたしが鼻水になる数日前から風邪薬を飲んでいました(風邪をひきそうになるとすぐに飲む人です)。後で知ったことですが,熱がありそうでも測るな,と会社から言われていたようです。何て会社だ…。

なので,何を言っても遅いのですが,感染源は夫であると今でも思っています。

ついでに言うと,義母は濃厚接触者である夫と上の子に会いたいがために,わざわざ食事を作って家に招待してくれていました。(もともと入院中は来てもらう予定だった)

高齢者が自ら濃厚接触者と接触するとか,信じられないですよね。入院して何日かめに知って,直接義母に電話してやめさせましたけど,どうして「自分は大丈夫」と思えるのか甚だ疑問です。

コロナにかかったのと,出産と,同時にやってきてしまったこと,終わったことなので仕方のないことですが,タイミングがずれていてくれたらと何度思ったことか。

本当かはわかりませんが,コロナに罹ると早産になる,と出産の報告をした際に親に言われました。

ただ,臨月に入ってからの出産でしたし,子どもも3,000gを超えていて,今でも元気に育ってくれています。

後悔の多い出産となってしまいましたが,この経験がどなたかの参考になれば幸いです。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました